無駄に明るい

雑記帖

ドーン

「何にもしてない日」という謎の焦燥感が襲いかかる時にたまらず散歩に出かけてしまう。何もしなかった日を散歩した日に変えるために躍起になる。そういう理由で映画を見たりもする。映画を見た日にするために映画を見る。歩いて30分くらいで隅田川に着くのでそこで近くの新興住宅地とかぼーっと眺めながらお酒飲んで帰るという1時間ちょい+160円の割には幸福度のコスパがかなり高い娯楽である。 

音楽を聴いて散歩するのがかなり好きです。誰も傷つかないお笑いがどうのこうの言われてるけど、音楽を聴くことで傷つくことなんてほとんどないから音楽ってすげーや。

最近は平日はオンライン授業受けて休日にまとめて8個くらいレポートみたいなの書いたりしてます。毎週何個も課題が出てるのおかしいよ全く嫌になっちゃうわ😅

それ以外の時間はYouTube見てるか料理作ってるか酒飲んでるか麻雀してるかです。そんな生活だから気づいたら大喜利の機会が無くなってる。主催とかするならみんなが司会する大喜利会開きたい。みんなの司会を見るために。

最近かなり気分の上がり下がりが酷くてそれは人となんかしてる時はかなり楽しいんですけど、それ以外の時間に理由もなく落ち込んでしまう。食事をとる時、猫背になりながらご飯を黙って食べている時に「今この世で1番自分が惨めなんじゃないか」とか色々考えてしまう。猫背の女が黙ってご飯食べてる時のみずぼらしさったら…

中学3年生の時に本当に1回友達がほとんどパーになっちゃった時があったけど、あの時は音楽とラジオが支えになっててそういう盲信的に愛せる原動力みたいなのが若い時(今も若いけど)は凄かったなぁと改めて思う。今でも何かを好きでいる力みたいなのは人よりかは多いと思うけど、当時みたいな犠牲の仕方は出来ないなと思う。

あと散歩してる時にふと思ったけど、私のサークルがなくなるかもしれない。新歓の行事などがなくなってしまって学園祭も危ぶまれるなか私の一個下に後輩が二人いるだけのサークルなので再来年辺りには消滅してしまうかもしれない。凄く悲しくなった。私の大学は昔は学生自治の建物があってそこで学生主体で音楽ライブを行われてたんだけど、そこが取り壊される時に「建物が無くなったからと言って大学の文化ごとなくなったら勿体ない。」みたいな理由で創設されたサークルで私は活動だけでなくその理念が凄くかっこいいと思っていた。どうにかなって欲しいけどきっとどうにもならないんだろうな。

まがりかどの「鈍感」って曲があってめちゃくちゃいい曲です。本だって音楽だって「敏感」な人に重きを置いてる気がしてでもみんなそんなことないじゃないですか。季節に才能に人間に嫌でも鈍感になって錆び付いてでもそれはしょうがない事だよなぁと聴いてて思います。歌詞に「何でもありになったから誰も誰を責めないから全てを受け入れようなんてお人好しな」ってあってみんなが鈍感になった結果なんですかね。

https://youtu.be/ms8kHG7iSm0

 

最近朝になるまで寝れなくてこのブログ名の意味を思い出します。朝は無駄に明るい