無駄に明るい

雑記帖

私にとって音楽で、芸人にとってきっとお笑い。

中学2年の時に兄が借りてきたスピッツのベストアルバム「リサイクル」を聴いて雷が落ちた。本当にほんとうにホントウにこんな音楽あっていいんだって思って1年間スピッツ以外のことを考えなかった。中学二年の時私はスピッツよりスピッツを考えてた。もはやメンバーである。第5のメンバー。ライブの時キーボードを弾くクージーでなく栃木県の鈴木がスピッツ第5のメンバーだった。

 

そんなスピッツがJ-WAVEのキャンペーンソングになると聞いて一日中ラジオを付けっぱにしてた。そこでこの世の中にはスピッツ以外にも若いバンドがたくさんいると知って、インディーズや若手バンドにのめり込んだ。スピッツから独り立ちしたのだ。さよならスピッツ。当時中三でラジオを深夜まで聞いて過ごした私。SAKANAMONBase Ball Bearが大好きだった。後、森は生きているとandymori。地元のライブハウスにSAKANAMONが来ると知って生まれて初めて自分のお金でライブのチケットを買った。こんな世界がこの世にあるんだと衝撃を受けたのは5年経っても忘れられない。SAKANAMONのドラムスティックをキャッチして今でも実家の壁に貼ってある。

部活を引退したあとに気づいたけど友達が誰一人いなくなった。音楽が好きすぎて友達をなくした。

中学三年生、受験だった。友達がいなくてもラジオがあったし、ラジオを聞きながらでも勉強はできた。SAKANAMONのラジオにメールを送ってワクワクしながら聴いて勉強した。一日中勉強して志望校に入った。

 

高校生になったら学校終わりライブに行くようになった。地元から東京まで往復4時間交通費だけで4000円近く。16:30に学校が終わり17:00の電車にのって19:00に東京につく。22:00までライブを見て24:00に地元に帰る。そして次の日また学校へ向かっていたのだ。ちなみに私は高校3年間無遅刻無欠席。天才がすぎるな・・・「勉強頑張ってるし、やりたいことはやっていい」といった両親の言いつけの通りのびのびライブに行きまくっていた。新宿歌舞伎町を誰よりも早く駆け抜けて受付で声を上ずらせながら自分の名前を言った。ライブに行きたすぎてバイトもした。コンビニバイト時給750円。栃木県で1番混むコンビニで病みながら働いてそこで稼いだ30万円を全部インディーズバンドにぶっこんでた。課金厨だ、今じゃほとんど解散してる。私の思い出はCDでしか取り戻せなくなった。

 

私の青春時代の思い出にはほとんど音楽しかなかった。甘い恋愛も熱血部活もなくて、田舎の高校には流行が届くのが遅くて。わざわざ東京に出向いて下北沢のカルチャー感に悩殺されたまま地元に帰ったりした。

 

 そんなことを考えてたらふと「芸人はお笑いがその青春だったんだろうな」と思った。私は今でもたまに好きな音楽を聴いて死にたくなる時がある。芸人は当時見ていたネタを見たら死にたくなるのかな。死にたくなるようなネタ見て笑うのかな。難しい話してるみたいになっちゃった。青春時代の思い出ってなんでこんなに引きずっちゃうんだろう。青春なんて言葉がなかったら流してしまうような出来事なのに。