無駄に明るい

雑記帖

コントを文化的に見たい

お笑いの中にあるコントはザックリ分けちゃえば大衆的なもので、なんか身近にある気がする。テレビとかでも気軽に見れるし、短いし、比較的分かりやすいものが多いのが理由だと思う。

 

演劇はもうちょい固い感じがある。コントや漫才でも「地下の劇団は前衛的で高い金払って訳分からないものを2時間くらい見させられる」みたいな愚痴やらボケをよく見る。このボケいつまでやるんだろうな。去年のキングオブコントの1回戦で二、三回聞きました。

 

まぁコントも演劇も大枠としての「人が何かを演じてお客さんに伝える」という点では同じなのに見る側の気持ちというのは随分違う。演劇はちょっと気持ち固めで見るし(コメディ演劇でも顔バキバキで見る人いる。やめてくれ。笑ってくれよ。)コントは笑えるものという前提があるからリラックスした雰囲気で見る、というイメージ。(長さや話の構成とかまぁ色々違うから気持ちの入り方が異なるのは仕方ないとは思うけど。)

 

先日のテアトロコント(劇団と芸人2組ずつが30分自由に使っていいというなんでもありなライブ)を見て思ったけど、もっとコントってカッコイイものでいいよなと。演劇みたいに文化的なものであってもいいんじゃない?と思った。

 

キングオブコント異常な愛情を注いでて、コントしてる人達が滅茶苦茶大好きだから言うけど、コントって滅茶苦茶カッコよくないですか?演技や台詞回しで笑いをとるコント師も発想でゴリ押ししていくコンビも、笑いだけじゃなく感動や悲哀もかっさらってくあの人達も皆大好きではぁ〜ってなります。だから、私みたいにコントってかっこいいよね人口増やしたい。クローン作りましょうかね。

 

コントについて深くバックグラウンドみたいなのとか考える人って少ないじゃないですかもっといていいですよね。もっともっとひとつのコントを丁寧に掘り下げてみたり、言い回しの絶妙さとか考えてみたり、ともかく色々したい色々考えたい。

 

文化的ってこう、カッコつけて言ってるけど平たくいえばコントだって演劇みたいに感想とか色々深く語れるような見方をしていきたいよね!!って話です。まぁ、演劇と違ってコントは十何組とか一気に見ることが多いから難しいかもしれないけど。そういう深く考察しても皆から変な目で見られないような雰囲気って重要だと思います。語るって好きな物事の言語化に繋がって、好きな物の言語化は好きな物を確固として好きでいれるある種の理由になってくので。コント師全組ラーメンズみたいになって欲しいというか・・・いや、あれは崇拝されすぎてる気がするな・・・